金曜日

取りあえず笑った。
このタイミングでこの雑誌と来れば当然ろくでもない想像が先走るわけだけど、よりによってカラオケボックスでボイトレて。深読みしてもしょうがないんで真に受けときますけど、頼むからもうちょっとまともな環境用意して上げて下さいよ(→UFA)。


まあショマヲタ的には最高の釣りネタでしかなかったけれど、もしこれが「熱愛発覚!」とかだとどうなんだろう。自分はごっちんに対して疑似恋愛感情は皆無(だと思う)のでショックはないけれど、ごまヲタ一般だとどうなんだろうか。なんとなくイメージ的に、ごまヲタってその辺割り切ってる人が多い気がするんだけど、でも一年前のあれであやヲタが大量脱落した(さんざん噂になってたにも関わらず!)前例を見るに、やっぱりショック受けるんだろうか。受けるんだろうな。なんだかんだ言って、アイドルだもんな。

もちろん自分のごっちんに対する感情に対アイドル的な要素が絶無って事は無くて、例えばごまコンで「大阪のみんな、大好き!」なんて言われた日には、もうこのまま死んでもいいやってくらいのものなんだけど、でもそれは「あの後藤真希が!」っていうのがまずあって、それはつまり「そういうもんだ」っていう認識が前提としてあるって事なんだろう。なんだこの回りくどい文章(笑)。

つまり「後藤真希なのに○○」っていう迂回した回路で自分はごっちんの魅力を感じ取っていたわけで、問題はその前提となる「後藤真希イメージ」。自分にとってそれは「ゴマキ」であって、そのイメージと目の前の像(=「ごっちん」)の落差のもたらす力がすごく大きかった。
去年の秋ツアーから彼女は「ゴマキ」でも「ごっちん」でもない「等身大の後藤真希」という道をかなり主体的に選択した様に見えた。もちろんヲタ感情としては本人の選んだ道は支持したいんだけど、でもそっちの方向は凡庸とかベタと紙一重で、去年秋から自分が感じてた物足りなさってのはまさにそこだったと思う。で、自分が思う彼女の非凡さはまず「ゴマキ」部分にこそあって、だからそっちをもっと見せて欲しいんだけど、でもどうも本人はその方向を望んでいないっぽくて、ああ困ったなぁというのがここしばらくの私の対ごっちん感情なわけです。


ここでゴマキ色の強かった「指」の感想にいくと話がきれいに繋がるんだけど、いかんせん、まだ見ておりません。CM飛ばしても一時間半、そんな長時間テレビの前に座ってる習慣がないもんで、どうにも敷居が高くて。今週末も予定が詰まってるし、何時見られるのやら。