今日の楽曲大賞

選曲基準についてつらつら考えております。
ハロプロ全体が細分化されて多くのヲタが共有出来る物語が成立し辛い現状、思い入れ重視で投票すると、結局は娘。やべりの様な多人数ユニットが上位に来る。それらへの思い入れがヲタ全体で共有出来ていない以上、ランキングに意味が見いだしにくくなり、不満が多くなる。
では、多くのヲタが共有出来る基準とは何か。そのひとつの答えが、「楽曲の質」でしょう。もちろんそれは主観的なものだけど、推し感情抜きにして、5〜10年後聴けるかというのはひとつの物差しではあります。
しかしその一方、それが我々がハロプロに求めたものなのか。下らなくても良い、安易でも良い。刹那の熱狂をこそ我々は求めたのでは無かったか、そういう思いもある訳で。
とりあえず「ハロプロ『楽曲』大賞」なのか、「『ハロプロ』楽曲大賞」なのかで話は変わってきます。前者だと話は分かりやすくなり、後者だと面倒臭くなります。思い入れは人それぞれですから。

補助線として、主催者の(一部の)スタンスが伺えるエピソードを。

http://d.hatena.ne.jp/twisted/20040517/1119606335
これに似た話で、昨年末の「第2回ハロプロ楽曲大賞2003」で、これまた相対的に凡庸な後藤真希の『スクランブル』が1位を取ってしまった際の美しいエピソードがあります。2位の『シャボン玉』が発表された瞬間、会場いっぱいに「エ〜!?」っというどよめきが起こったのです。(もちろん1位が『スクランブル』であることを察知できたからです)このどよめきにid:koitaくんが「お前ら最高だ!」と応えたのです。ぼくらは主催者側だったので事前にこの順位を知っていて正直ガッカリしていたのですが、このどよめきには、いまだモーヲタにも良心というものが存在するということを確認できた、ということです。『シャボン玉』は絶対的な動物性にまで至っているとは言い難いのですが、つんく♂の仕事として、それに近づこうとする誠意を読み取れる楽曲だったのです。『シャボン玉』は、作り手の誠意を褒めなければならない失敗作だった。もちろん後藤ヲタのライブでのカタルシスを一手に背負う楽曲として『スクランブル』は非常に重要であったことは間違いないけれど、批評的な態度としてこれをハロープロジェクト全体のその年の最も優れた楽曲としてしまうことには抵抗がある。そこでは民主主義的な投票という制度の限界と、それを荒々しく乗り越えてしまうモーヲタの批評的な力の両方を見ることができたのです。

主催者のみなさんの過去の投票内容、分かる範囲で貼っておきますね。ご参考までに。

さかもとさん(twisted)
2004年
http://d.hatena.ne.jp/twisted/20041130/p1
2003年
http://d.hatena.ne.jp/twisted/20031202/p1
TKさん(モー神通信)
2004年
http://www.geocities.jp/tkmoshin/a-gakyoku2004.htm
2003年
http://www.geocities.jp/tkmoshin/Diary0312-1.htm(12月3日)
2002年
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Vocal/4892/a-2002.htm
みなと辰巳さん(天上の飛鳥)
2004年
http://tenasu.jugem.jp/?eid=193
2003年
http://tenasu.honeysand.com/gakkyokutaisyo2003.html
小板橋英一さん(コイタバシステム)
2003年
http://members.jcom.home.ne.jp/koitabashi/2003.html(12月1日)
2002年
http://members.jcom.home.ne.jp/ichiisayaka/diary0212.html(12月12日)
ヤシマタカノリさん (底辺×高さ÷2)
2004年
http://d.hatena.ne.jp/turbo/20041129
2003年分
http://d.hatena.ne.jp/turbo/20031201

千奈美に、私の今日のランキング。日替わりなのです。順不同で。
「声」「愛と太陽に包まれて」「マンパワー」「スッピンと涙」「なんちゅう恋」
ベリーズは「スペジェネ」が少し後退して、代わりに「シンデレラ」が上昇中。
「ラブ&ピース」を落とすのも不当と思えて仕方ないし、実に悩ましい所です。あー楽しい。
この曲を聴くと何故かいつも、ガキさんがあのとびきりの笑顔で飛び跳ねている姿が浮かびます。そうやってガキさん愛が高まった所で、これ。動画必見。もうたまらん。