「なんちゅう恋をやってるぅ YOU KNOW?」学習帳

最初はピント来なかったんですが、毎日リピートしてるうちに好きになってきました。曲よりも歌詞に注目してみると面白いですね。
小学校高学年か中学生くらいの女の子の好きな男の子への想い、と言うより妄想を歌った歌なんですが、ふたりはもう付き合ってるのか?というのがひとつのポイントだと思います。歌詞の中ではその答えは明記されていません。(多分、意図的にぼやかしてる)
例えば、「喉まででてるけれど ねだれない」っていうのは、「付き合ってるけど、勇気がなくてねだれない」のか、「付き合ってないから、そんな事ねだれる訳無い」のか微妙ですね。「大声で叫びます フルネーム」って言うのも、「付き合ってるけど、まだ苗字でしか呼べないので、このチャンスに下の名前も叫んだ」とも、「付き合ってないから、こんな時でもないと下の名前を呼べない」とも、どちらとも取れます。


で、私は「ふたりは付き合ってない説」を採ります。
「電話で甘えたい」とか、「あった日は手つなぎたい」とか、「ミニとか穿いてもいいの?」とか、「名前はあだ名でいい?」とか、あらゆるシチュエーションを妄想しまくってる割には、具体的なやり取りの形跡がないんですよね。もし付き合ってるなら、実際にあったやり取りに想いをはせて、ああしときゃよかったとか、今度はこうしようっていう風に考えると思うんじゃないでしょうか。歌詞の世界が完全に歌い手の女の子の頭の中で完結してしまっているんです。他者がいない。
「クラスメイトに自慢したいなぁ!」って、付き合ってたら今すぐにでも自慢は出来る訳ですし。


まあ、この辺りの推測は曖昧ですけど、それでも「まだ付き合ってない」って考えた方が面白いと思うんですよね。
例えば、「待ち受け画面 新しくした 横顔だけど あなたの笑顔」という歌詞、これは隠し撮りですね。撮らせてなんて頼めないから、こっそり物陰から。ポイントは、「横顔だけど」のパートを歌ってるのが嗣永だって事です。ロッカーの陰から隠し撮りに成功してほくそえむ嗣永!なんて心躍る風景でしょう。
付き合ってもいないのに「今週中に CHU CHU CHUしたい」なんて、明らかに急ぎ過ぎです。「春夏過ぎて 山燃ゆる秋 凍てつく冬も 愛おしい人」なんて、一年先まで妄想しちゃって。
このあたり、恋愛に過剰に期待してるんだけど経験不足、故に妄想が膨らむばかりっていう恋に恋するお年頃の暴走っぷりをよく表してますね。現実からのフィードバックがない分、妄想に歯止めが効かないという。
そんな想いがシリアスな歌唱に乗った結果、痛い切迫感が生まれる訳です。(私はそこでSPEEDを思い出します)この切迫感と、ピリリとかハピネスに象徴される幸福感が同居してるっていうのが私にとってのベリーズの魅力ですね。