夏ハロ大阪公演の感想追記

他の方のレポを読んでたら、私が見逃していた点、思いつかなかった視点などあったのでその辺を少々。あと、思い出したり新たに思いついたことも合わせて、セットリスト順に。以前書いた夏ハロ大阪公演レポはこちら

・helloのテーマ、いまだに余韻が残っています。60年代サイケ調に統一された衣装とサングラス、モデル歩きで続々と花道に登場するメンバー、そこに流れるhelloのテーマ、溢れる光と幸福感。目の前の光景と「セレクション!コレクション」というツアータイトルがピタリと一致し、明確なテーマに貫かれたとんでもなくゴージャスなショーが始まる予感がしたものです。私はハロコンにテーマやコンセプトなんて求めていませんが、それは期待しても無駄って諦めてるからであって、より上を目指せるのならもちろん大歓迎。あの瞬間感じた可能性をコンサート全体に拡げる事ができたらいいんですが。そしたら「ハロコンだから見なくていいやー」なんて声も減るんじゃないかな。
そもそも、あれだけ明確なテーマを持った衣装とそれに噛み合った演出を見たのって、ハロプロのあらゆるコンサートの中でも始めてじゃないかしら。
・初っ端にピロリンを持ってきたのは「なっちお帰り」って事だったのかな。「なっちが帰ってきたぞ!」
甲乙丙丁の藤原さんが書いてらっしゃるんですが、ピロリンで足が一番高く上がるのは誰かという視点。私は目の前の加護ちゃん美貴様ばっかり見てたんですが、やっぱり石川・高橋・ごっちんでしょうか。あと、キッズNo.1ダンサー村上、ハロプロNo.1オーバーアクションダンサー矢島も要注目かと。上がるかどうかはともかく、見ものだと思います。立ち位置は石川がメインステージ、高橋がステージ向かって右のサブステ、ごっちんがメインステージ右よりだそうな。
石川・高橋の足上げって言えば強烈に印象に残っている場面があって。確か2003年冬ハロ、娘。の1曲目「ここにいるぜぇ!」だったと思うんですが、ライブ向けに長くアレンジし直したイントロにのって左右から登場した石川・高橋が、舞台中央で横開脚ジャンプしながらすれ違うという演出があったんです。これがもう180度以上開いてるんじゃないかってくらい凄い開脚で。ハロモニ。で放映されて、当時狼にスレまで立ってたのを覚えています。
・飯田さん、大きなステージに立つのは卒コン以来だと思うんですが、全くくすんでませんね。石川もそうですが、娘。というとんでもなく華々しい位置を離れてカンが鈍ってないか心配だったんですが、杞憂でした。こんな事を考えるのは私が市井ヲタだったからです。
・矢口のMCについて触れたサイトが非常に少なかった。矢口が歌わなかった事に言及したサイトは多かったので、もはや誰も矢口問題に関心がないって事ではないはず。単純に印象に残らなかっただけなのか、どう反応したら良いかわからないのか、口を開くと批判してしまいそうなので黙っているのか。納得したならそう書くでしょうし。判断出来ず。このままなし崩し的に矢口が受け入れられていくとすれば、まさに事務所の狙い通りですね。
ROMANSの人選がそういう意味だったなんて思いもしなかった。
・スッペシャルジェネレーションは℃-uteに歌わせたらよかったのに、という意見もありました。なるほど。やったらやったで「干された挙句ベリーズのカラオケやらされて不憫」なんて声も出たかもしれませんが(私も言ってそう)、「干され組」が「推され組」に本歌取りでガチンコ勝負を挑むって図式は確かに魅力的。スキルの高い娘が揃ってるだけにね。こういう分かりやすい趣向を用意してくれたら、カバーも悪くないなと思えるのですが。
・抱いてよ!please go onのバックダンサーを務めたキッズ(村上、矢島、梅田、夏焼)がすごかったらしい。私はごっちんにロックオンだったんで全然見てなかったんですが。キッズの中でもダンスに秀でた4人を集めた訳で、事務所推しとか関係無い機能性重視の人選。なにかと必然性を欠いた人選が目立つハロプロだけに、こういう所はキッチリ押さえておきたかった・・・。名古屋・代々木に行かれる方は是非ご注目を。私はDVDのマルチアングルに期待します。ムリだろうけど。
・娘。に良曲が回ってこないのは、つんく♂先生が娘。に飽きてしまってインスピレーションが沸いて来ないから、という説があります。という事は、やっぱりつんく♂先生はまことが大好きなんだなぁ、と。
・矢口を除く卒業メンバーで歌うLOVEマシーンを絶賛するレポを多く見かけました。絶叫した、鳥肌が立った、本公演最大の見所云々。けど、私はあまり盛り上がりませんでした。「うわーこのメンツそろえたかー、すげー」とは思いましたけど。特にパフォーマンスについてはカバーの平均値以上のものではないな、という印象。なんでかって考えました。
卒業メンバーは皆、ソロやユニットで一定の成果を上げています。そりゃ「あの時代」に比べれば地味なのは否めない。でも、娘。時代より遥かに少ない人数でステージを背負い、番組に出る経験を積み重ねてきた、そんなメンバーのスキルは向上して自信もケタ違い、結果、彼女達の力量がラブマに求められるレベルを踏み越えてしまったのではないか。もはや彼女達にはラブマシーンですら窮屈。だから私はいまいち爆発力を感じなかったのでしょう。極言するならば、彼女達は本当にもうモーニング娘。ではなくなってしまった、という事でしょう。12日更新分のレポにも書きましたが、私はこの曲で石川にだけ違和感を感じませんでした。それは彼女がつい最近卒業したばかりであるが故にまだプラスアルファの力を身につけておらず、故にラブマの枠の中に納まっていたからなんじゃないかな、と。
・それから、モー神通信のTKさんこんな事を書いてらっしゃいました。

その二つのモーニング娘。は別のものじゃなくて、
つながっているものなんだということの方が大切なんじゃないの?

スタッフが見せたいのは断絶なのか、連続性なのか

LOVEマシーン』に吉澤も参加し、一人ステージに残ってアーリーモーニングを送り出し、
新しいモーニング娘。を迎え入れ、合流する。

こっちの方が良かったんじゃないかな。
少なくともその間の、後輩の顔からリーダーのそれへと変貌する彼女を、私は見たかった。

あー、こう思う人もいるんだな、と。私はよっすい〜の不在にはあまり違和感を感じませんでした。TKさんの用意された枠組みに乗っかると、「断絶か、連続性か」と問われれば私は断絶を求めます。推測ですが、「あの時代」をこよなく愛し、今の娘。に熱くなりきれない方ほどこの場面に連続性を求めるんじゃないでしょうか。連続性が感じられれば今の娘。を愛する為の回路もより多く開かれますからね。じゃ、なんで私は断絶を求めるのかというと、昔は昔、今は今と結構割り切ってしまって今の娘。を気に入っているからでしょう。
話が飛びますが、私は矢口の脱退は「娘。の変質」というテーマに照らせば、ラブマに匹敵する娘。史上最大級の事件だったと思います。娘。は完全に「あの時代」から切り離され、吉澤政権発足。「つんく♂マジックを体現した娘。」から「軽量化された、可愛らしい、機動力のある娘」へ。そしてこの日の彼女達はそりゃあ凄いパフォーマンスを見せてくれました。レポで書いたので繰り返しませんけど。その中心にいるのがよっすい〜。つまり、彼女は新しいモーニング娘。の象徴。そんな彼女を敢えて「あの時代」のモーニング娘。から外す事で新旧モーニング娘。が別モノである事を強調し、「娘。物語」の断絶とそれに続く娘。の新生を強く印象付ける事が出来る。私はその図式に納得したのです。

・やっぱり今思い返しても高橋とよっすい〜はすごかった。
・娘。の新曲「色っぽい、じれったい」、私はレポで「ヲタ盛り下がり過ぎ。」と書きました。
それに対して「日記エンタテイメント!」の電脳丸三郎太さんが

最後に、モーニング娘。の新曲(これくらいはネタばれはオッケーよね)について。情熱的でありながら静謐。それでいて激しく。テンションは非常に高い。しかも内圧が高い曲。そのためか、会場内は(新曲ということもあるが)固唾を飲んで見守る、という表現がぴったりか。みなぎる緊張感。

と書いてらっしゃいました。
この時私は完全にステージに集中していたのですが、客席の反応が気になって一瞬周りを見渡したんです。すると、みんなサイリウムを下げてじっと凝視。踊ってる人どころかリズムにのって体を揺すっている人すら見当たらない状態。それで「うわ!めっちゃ盛り下がってる!」と思ってしまったんです。ですが、電脳丸さんの解釈も当然成り立つ訳で。そもそも私だって傍から見れば「盛り下がってる客」かもしれませんし。なので、娘。新曲に対するヲタの反応についての私の上記記述は保留にします。
・案の定、「Magic of loveって誰の曲?」って人がチラホラ。とはいえ、少なからぬ方が「いい曲だから今度聴いてみよう」って書いてたのは嬉しい限り。シスコムーンの1stアルバム、ブックオフなら250円で手に入ります。セカンドモーニングに匹敵する名盤なのにね。
・All for one,and one for allに矢口がいない事に違和感、あるいは怒りを表明するサイトがいくつかありました。私はラブマに矢口がいない事に違和感を感じましたが(12日更新分のレポの最後の部分参照)、この曲では矢口が居ないという事自体ほとんど意識しませんでした。言われて初めて「あ、そういえば居なかったような」って位で。なんでだろう、と考えました。
私はこの日矢口が歌わなかった事にほとんど怒りを感じませんでした。むしろ、「このまま矢口はフェードアウトしてしまうかも知れない」なんて思っていた時期に比べれば、よくぞここまで、と感じました。それにヲタもかなり好意的に矢口を迎えた訳で、これなら冬ハロで歌手として復帰出来そうじゃないか。そんな風に安心してたところでAll for〜。目の前のサブステにはなっち、ごっちんあやや、ついでにキッズでは一番好きな村上までやって来て。正直に告白しますが、この瞬間矢口の事は忘れてました。我ながらひどいとは思いますが。
そもそも、All for〜とラブマじゃ意味合いが全く違うと思うのです。All for〜って曲は良くも悪くも儀式。大名曲って訳じゃないし、とてつもなく幸福な記憶と結びついてる訳でもない。加えて、この日のコンサートで放たれたエネルギーがこの曲1曲に集約されて圧倒的な感興をもたらすという訳でもない。少なくとも私は、あくまでお約束だから歌いました、という印象を受けました。そしてそれはこれから何度でも繰り返される光景です。なので、矢口の不在もさして大きな意味を持たない。少なくとも私にとっては。
しかしラブマは違います。このメンバーでこの歌を歌う事は儀式ではなく事件です。私はこの趣向にさして心動かされませんでしたが、他のカバーとは替えの利かない特別なものだって事はわかる。そんな一回きりの(何回もやらないでよ!)特別における矢口の不在、これは取り返しがつきません。意味合いが全く違う。現実的措置としてはわからんではない。でも、なんとかならんのか。
以上、All for〜で矢口を忘れてた事に対する言い訳でした。